ユーチューバーたちの技術

文章を読む人というのはマイナーなのだなと感じる。それは何も失われた時を求めてとかヘンリーミラーの南回帰線とかハーマンメルヴィルの白鯨とかそんな冗長で壮大な小説だけでなく、このような軽いブログや、ツイッターでもそう。最近YouTubeにポツポツと変な動画を投稿していて、アナリティクスを見ていて思う。サラッと作ったものが結構再生されていたりして動画の方が圧倒的にマジョリティに訴えかけるのだと。もちろん、何らかの拍子でこのブログの文章が突如読まれることはある。いつもは一日で200ほどしかないアクセスが1000PV近くに跳ね上がる時、誰かに取り上げられていたり、知らぬ間にまとめサイトやポータルに掲載されていたり。しかしそういう時の読まれ方で意見をもらうのは必ず見当違いというか、僕が全く意図していないものでびっくりする。だが伝わる情報という意味では動画も同じなのだろう。動画の場合な喋っている内容などほどんど誰も聞いておらず、どういう服を着ているか、どういう顔をしているか、そういうところが最も情報らしく伝わっている。それらを無意識に汲み取り意識的に視聴させる方向に変えるユーチューバーたちはすごい。トップの人たちのそれは、下品か上品か面白いかとった要素を抜きにして一つの技術と呼べるものだと思う。そこでは撮影すること、編集することはさほど重要ではない。ブランディングと包括的なディレクション、一つのプラットフォーム上でコンテンツをマジョリティにリーチさせるという技術。それに名前をつけるのは難しい。