言葉の限界は限界のままに

街に夕暮れの雰囲気が漂ってきた頃、石垣のワインバーのカウンターの中に立つ安子さんは「島流しってあんな感じなんだろうな」と言った。波照間から無事に石垣に戻ったわけだが、高速船での70分の船旅は予想以上にハードだった。ほぼテーマパークの絶叫系アトラクション。日帰りだと確かにあれを1日に二回行うのは辛いものがある。だから宿泊が必要なのだと。もっと大型の船にして揺れを抑えて快適さを保つことはできるのだろうけれど、そうするとスピードが遅くなってしまい送客数とコストのバランスが取れないのかもしれない。入島する人数をある程度制限したいという思いもありそうだ。昨日、学生時代の音楽の先輩の訃報が入り大きなショックを受けた。何をすることもできない思いは同じか、東京の先輩からも電話があって少し話をした。ますます当時のさまざまな記憶や顔が蘇って目の奥が熱くなった。書くか迷ったけれどこういう感情というのはうまく言葉にできない。どうにかできなかったのかと悔しい思いしかない。話すことや書くことによって思い出すこと。故人を偲ぶなんて簡単な言葉ではだめだ。そのような言葉に収まりきれるような単純なものではない。だからとにかく関係していた人たちと会って、話をしていくしかないと思っている。そして自分はより生きることを思う。生きて作らなければならない。今日も明日もできることをやっていく。