6月3日、金曜日。7時起床。ヨガと瞑想とストレッチをして洗濯。ネスカフェゴールドブレンドを作って日記を書く。午前中にオンラインmtg1本、電話での打ち合わせ1本。並行してLINEで撮影の打ち合わせ。昼、近くで鴨南蛮。店を出ると突然の雷雨。雨に打たれながらしばらく歩く。夕方からリスクに関するオンラインmtgを1本。夜、次の冒険の旅程確認をし、来週の会食の店を予約し、週末の散髪の予約をした。プレゼン資料の作成をして担当に送り、スケジュール調整を少々。ボストン出身のアメリカ人から飲みの誘いが来たが行けず近況を共有。知人が宇多川のバーに出没したとの連絡も入る。今日はよく連絡が来る日だった。そういえば昼もフォトグラファーのYさんから検索したらこのブログに当たったということでメッセージがきた。慣れてきたけどこの日記形式になってからは未だに読まれる恥ずかしさがある。僕にも身に覚えがあるが自分がリアルでしか知らない人のネット上での活動をはじめて目にした時のあの奇妙な感覚。なぜだろうと考えた時、オンラインでもオフラインでもなく、僕は今、この日記にしか存在していないのではないかという考えが生まれた。仕事で会う人があまりにも少ない。というかほとんど誰とも会わずに1日を終えることの方が多い。つまり、現実よりもネット上に存在している。今で言えばメタバーシーに生きる人、20年前で言うなら2ちゃんねらーでオタクで引きこもりでニートである。今日の出来事を書いてみても全てはオンライン上のトラフィックのやりとりで実体がない。ここにはエクリチュールがある。もっと現場性が必要なのかもしれない。自身が確かに現存在として存在しているのは酒を飲む場と、この日記だけ。ドゥルーズがこう書いていた。
事物の中で、事物の間で、思考することはまさにリゾームをつくることであって、根をつくることではなく、線をつくることであって、点をつくることではない。森に種や属をつくることではなく、砂漠に群生すること、決して種別化することなく群生すること。
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