スポーツではない、何かへ

おそらく、最も金のかからないスポーツとしてランニングがある。スポーツをコストで比較するのはこれまた汚い話しなのだが少し考えてみる。ゴルフやヨットやテニスにはお金がかかる。移動したり、ウェアだったり、クラブやラケットだったり。相手がいる場合は予定を合わせて、プレー中の食事や試合後の飲み会までもれなくついてくる。それに対してランニングはまずまずの道路さえあれば金はかからず、今からすぐに始められる。シューズとウェアとAirPodsがあればもう言うことは無い。対戦相手もいらない。ランニングと同じく有酸素系のスポーツとして水泳があるが、どの街でもプールより道路の本数の方が多い。当たり前だ。そして道路を走るのはタダも同然で、住んでる自治体に住民税を払っていればいいし、住んでいない町の道路も走ろうと思えば走れる。(知らない街を走るのも楽しい)まずまずの道路と言ったが、トレイルランナーたちにとっては路面の状況が悪ければ悪いほどいい。木の根っこや水溜り、きのこやゴツゴツした岩があれば興奮する。どのスポーツも楽しく喜びに満ちたものだが科学的にはその楽しみや喜びは体を動かすことで放出される脳内物質と血液の好循環による。ドーパミンとエンドルフィンとセロトニン。走ることで全て出る。心拍数を上げて20分も走れば、走る前とは違う世界に見えるくらいに気持ちよくなっている。多幸感を手軽に得る手段としてのスポーツ。いや、走ることはスポーツとさえ呼べないのかもしれない。もちろんレースに出るランナーたちにとっては競技である。しかし個人でただ走ることは、誰とも戦いはしない。自分との戦い、などとよく言われるが、別に自分とも戦っているつもりはない。僕は走る時、狩猟採集社会に生きるホモ・サピエンスを想像する。手には何も持たずに、呼吸と足捌きにだけ集中する。すると、ランニングはスポーツではない何かへと変化を遂げる。そんな感じで朝から4キロを走ると、生ぬるい春の風が吹いて、もう今日が終わった気になった。