トキマルタナカ的

 写真を見て、あぁトキマルタナカだな。と思う時がある。
 他人の写真ならまだしも、すべて自分が撮ったもので、あまりにナルシシスティックにすぎるし馬鹿げてはいないか。でも確実に、プリントを見たり、サイトのダイアリーで上がりのチェックをする際に、あぁトキマルタナカ的だなぁと思ってしまう。まだ辛うじて、声にはなっていないけれど。
 ウィリアムエグルストンは「それが写真になった時にどう見えるかを知る為に写真を撮る」と言った。結局のところ、写真は世界の捉え方などに行き着く以前に、撮る行為があってその後で見る行為がある。それだけだ。それが暗室でのプリントなのかディスプレイなのか、はたまたインスタグラムなのかは別にして、単純なのだ。そして単純な行為の中には、迷宮のような構造がある。だからエグルストンも撮ったものを観るために撮っていたのだろう。それは時に、最初の鑑賞者=撮影者にとっても新鮮なもので、幸福ですらあるようだ。
 女、飯、自然、車。しかしこの十年、撮るものが変わっていないことにつくづく驚く。男子の欲求をそのまま具現化したような対象は、並べてみると恥ずかしささえある。進歩のなさも露呈される。二年前の個展の際にも自覚し、露わになったそのつまらない性格と写真群は、一体誰の役に立つのだろうか。
 今日も撮って、見て、また撮ってみよう。もう少しだけ、出来上がった写真を注意深く見てみよう。

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