犬についての記憶を辿って

犬をよく見かけた日だった。そして犬を飼いたいという女の子にも出会った日だった。何歳までを女の子と呼んでいいかはさておき、彼女たちは29歳であり、38歳という歳であった。ひとりは都心で大きな犬をしかも室内飼いしたいと言った。それには60平米以上のマンションが必要だという話になり、渋谷で調べてみたらうちの近所で出てきたのが1億2700万の1LDKだった。もうひとりは、室内飼いではなくていいのでとにかく人間みたいに大きな犬がいいと言った。今日見かけたサモエドのように白くて大きな犬。大きな犬は誰にとっても憧れなのだ。僕だっていつかバーニーズマウンテンドッグと一緒に山を登りたい。それで渋谷でペット可能なマンションを検索したこともある。しかしそれはいつまでも叶わぬ儚い夢、絶望の中に輝く希望。なぜなら相手あってのことだから。犬の原初的記憶といえば、森山大道のそれではなく、子供の頃、親戚の家で小さなマルチーズに噛まれたこと。最初はそれで犬嫌いになったが、いつの間にか遊ぶうちに好きになっていた。そのとき初めて懐くというか、こちらのことを理解しているという感覚が生まれた。親戚はみんな犬を買っていて、福岡のいとこの家には年配のゴールデンレトリーバーがいて、神戸の叔父の家にはボーダーコリーとマルチーズがいた。親類の家に旅行に行く、イコール、犬と戯れに行くことだった。でも家では一度も犬を飼ったことがない。(猫は一度迷い込んできたことがあって、しばらくうちにいた)何度頼み込んでも、朝と夜2回の散歩は誰がするといって許可してくれなかった。たぶん親は犬の方が僕よりも長く家にいることを知っていて、自分が世話をすることになるのを懸念していたのだろう。そういう記憶から、犬は僕にとってひとつの憧憬であり、象徴であり、インスピレーションとなった。そういえば先週、10年に一度のインスピレーションに出会った。こう書くと何かの誇大広告みたいだ。

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