中途半端という言葉の転回

午前中はウェビナーを視聴しながら作業や対応仕事をして、日が暮れて寒くなってからアートディレクターのYと広尾の小さな店でミーティングのような会食をした。豚肉ときのこのソテーと白カビチーズをつまみながら、カリフォルニアの若くも古くもない中途半端なカベルネを飲んだ。呆れながらも自分の中途半端さを肯定してくれる稀有な友人に感謝。

どうも中途半端が好きなようで、アウトライナーのプロジェクトノードには昨年立ち上げたものが二つ残っている。そして年が明けて更に二つのプロジェクトを立ち上げてしまったものだから現在四つを同時に進めている。それぞれに関連性が全く無いわけでもないが、ひとつで独立するためどれかを進めるといずれかが疎かになってしまう。読みたい本を沢山買ってしまって、結局どれも読みきれない状況に似ている。アサインメントの仕事ではない個人のプロジェクトは一年くらいのスパンで完成させればよいと考えているので、その時々でやりたいことをやっていく感じ。取り組んでいくうちに何年もかかったり、プロジェクトそのものに動かされる感覚になることもある。作品と仰々しく呼ぶものでは無いとしても、生み出されるものが完成するのには然るべき時というものがある気がする。つまり作者の意識でそれを完成させるのではなく、作品によって完成させられているような感覚が。もちろん途中で飽きてしまったり、理論や方法論や写真がまとまらずにボツになって消えていくものもある。それでも昨年はなんとか二つのプロジェクトを完成させることができたので、五つ立ち上げてそのうちの二つくらいを完了できればよいほうだろう。(新作をサイトに置くというタスクもまだ残っている)

プロジェクトが社会に何もインパクトを与えなくても、写真家やクリエイターとして活動するということは、まず作るという基本をしっかり行うことだと思う。そして作ることが好きだからやっている。休日や土日という概念を失って久しく、365日ずっと読み書き撮り語り発信している。プロジェクトを中途半端にしておくことは中断の状態である。接続を完全に切るわけでもなく、停止状態か発酵状態をイメージする。いつでも再開できるという思い込みが新たな思考やまた別のプロジェクトを生んだりする。アウトライナーとLightroomにツールを絞ったことで、そのような中断状態にある物事の可視化を意識に組み込みやすくなった。自分に合ったツールを使うことは、魅力的な主題を発見するのと同じくらい強力な武器となる。ネガティブに捉えられがちな「中途半端」という言葉を、ポジティブに転換していく。

– https://linktr.ee/tokimarutanaka