こんにちは、常丸です。
「写真を始めたくて、カメラを買ったけれど、何を撮ってよいのかさっぱり分からない」
そう思ったことのある方は結構いると思います。
お父さんであれば子供を記録するぞとか、一人旅に行くのであればメモ代わりに使うぞとか、写真学生であれば学校卒業するぞとか何かしら理由があると思うのですが。
問題は、写真ってなんとなく面白そう。カメラってなんとなく楽しそう。と思ってカメラを手に取った人です。
でもこれ実は、写真をプロとしてやっている人、または写真作家としての道を進んでいる人にも必ずつきまとう問題であると考えます。
荒木経惟さんのように「才能が有り余り過ぎていて、死ぬまでに使い切れないのが問題だ」という天才はそういるわけではありませんから。
俗に、スランプとも呼べるかもしれません。
テーマを持って制作していても、シリーズを重ねて行くと、自分が何をやりたいのかさっぱり分からないという経験をした方もいると思います。僕も何度もそのような経験をしながら、写真の迷宮をぶらぶらしています。
今日はそのような問いを解決するヒントを考えてみます。
立ち位置で既に写真は決まっている
僕の提案は、「別に被写体を探さなくても良い」ということです。
写真をはじめたばかりの人にありがちで、写真の学校等に行くと「テーマを決めよう」「被写体を探そう」と言われるかもしれませんが、まずその固定観念をなくしてしまうべきです。
大部分において、写真はカメラが撮るのであり、押せば何かしら写るのです。
そう考えると少し楽になりませんか。
カメラに撮らせておいて、写ったものを見て考える。
何かを見て感じてシャッターを押すのはひとつの手段ではあるかもしれませんが、無理して被写体となるものを探すのは疲れますし、もう少しゆったり構えて目の前にあるものを観察する。
スタイルとして制限はされますが、本来それほどに写真は自由なものであるということ。まずはそれに気づくこと。忘れていた人は思い出すこと。こうなればあとはもう楽ちん。
ビギナー卒業、スランプ脱出です。
写真が撮れない、またはどんな写真を撮れば良いかわからないといった方に最も簡単な方法をひとつ。
それは身体を移動させること。
日帰りの国内旅行でも、2週間のギリシア旅行でも、1時間の近所の散歩でもいい。
立つ位置を変えることは、もう新たな#写真 を手にしているということです。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) October 22, 2017
数日前につぶやきました。
身体を「移動」させるだけ。

インドネシアのコテージに滞在中、朝食の席の視点より。
アニーのエピソードから
米国を代表する写真家、アニー・リーボヴィッツは、学生時代カリフォルニアで写真の授業を受けた時、こう思ったそうです。
写真の授業で、古典的な35ミリフォトグラフィーの巨頭である、カルティエ・ブレッソンとロバート・フランクの写真を見た時でした。
「どんなにつまらないひとり旅行でも、カメラがあればそれだけで楽しめる。そして写真家になるということは、好き勝手に旅行しながら写真を撮れるということなんだ」
そのような写真家の”特権”をブレッソンとフランクの写真から感じとったそうです。
彼女はその当時自分が写真家になるとは思ってもいませんでした。
それ以来は(その写真も)多く知られているように、移動するがままに、ジョンとヨーコを撮り、ローリング・ストーンズのツアーに同行し、ヴァニティ・フェアからハーパースバザーを渡り歩き、気がつけば米国を代表する女性写真家になっていました。
そのバイタリティも見習うべきところなのですが、今回はもっと写真の本質的なところへ。
あくまで一手法として。
移動しよう。
動けないのなら、しゃがんでみたり、背伸びしたりしよう。
視点は変わり、新しい写真はすぐそこにある。
参考文献
カルティエ・ブレッソン
写真集ももちろん良いけれど、エピソード沢山のこちらもオススメ。ブレッソンを知る一冊。
ロバート・フランク
写真好きは必ず持っている名作。ケルアックが寄せたビートニクな序文も最高。時代性とフランクの先見性が光る。以後の写真家達に絶大な影響を与えたシリーズでもある。ロードトリップしたくなる。
アニー・リーボヴィッツ
アニーの写真集は選ぶのが難しい。展覧会の図録がすごく良かったりするから。昨年も東京で大規模だけどラフに、アニーらしい展示が記憶に新しい。
ぜひチェックしてみてください。
Leave a Reply