白米と玄米と消えた写真家

午前中はオンラインでミーティングを2本、午後はスタジオにて現場、夕方から今度はリアルでミーティングを2本。話すことで終わったような一日だった。

気づけば2月が始まっていて、寒いけれど馬鹿みたいな晴れ間続きでこちらまで馬鹿になりそうだ。空気は乾燥している。夜はいろんな誘いが来ていたけれど遅かったのでスーパーで小松菜としめじを買ってそれで味噌汁を作って、メスティンで玄米を炊いた。米の消費量は少ないが、毎回2キロの袋で白米の無洗米と、玄米を交互に買って家に置いている。今は玄米フェーズ。昔は玄米のみだったのが炊飯器を捨ててメスティンがやって来て白米を炊いてみたらその旨さに驚愕して、白米を挟むようになった。人間は稲作により食料や生産を管理するようになったが、本当は米のほうが人間を管理していたという話しには説得力がある。これだけ旨いとそれは支配される。グルテンフリーとか米フリーとか言ってはいられないほど、糖という側面において病的な中毒性があるのかも。

夜中にリサーチのため昔好きだった日本のファッションフォトグラファーや広告写真家のサイトを見ていた。雑誌や広告をほとんど見なくなってしまった僕は、ふと彼らは本当に実在するのだろうかと思った。写真は確かにそこにある。しかし人間がいない気がするのだ。雑誌が衰退してしまった今では、どこで何を撮っているというのだろう。

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