日記の書き方について書く

朝起きてこうしてまたエディタに向かう。本来であればその日の日記はその日のうちに書くのがいいのだろう。昨夜は小さな新年会だったので帰ってそのまま寝てしまった。だからこうして今、8日の朝に書いている。1日ズレて投稿するタイミングを考えればそれでもよいのかもしれない。しかし昨日の日記を今日書いて今日投稿するというのは、自分が今どこにいるのか見失う感覚がある。昨日と今日と今。私たちは暦で一日を24時間と認識して365日を刻んでいるがそれが後発的につくられたものだという認識を強めている。

あまり書くことについて書くと、日記のための日記になり日記としての意味を失ってしまう。しかしまだこの年初めに作業環境を記録しておくことは、今後何かの役に立つかもしれない。それがどのように変化し、最適化されるのか、あるいはされないのか。

Ulyssesをタイプライターモードにして、全画面。まずこれが基本形。いくつか表示設定を試してみて、ハイライトはオフ、フィックスドスクローリングはトップ、マークラインはオフに設定した。これが今のところ一番しっくりくる。背景はデフォルトのブラックのまま。画面にはトップバーやメニューや時間の表示は一切無く、自分がタイプしている文字しか出ていない状態。これが気持ちいい。タイプライターという名のごとく、書いているラインは固定されて、前の文章が上方に流れていくような見え方をする。単なる気分だけど、文章を書くには気分が大事だということにも気づいてきた。このあたりは千葉雅也さんの影響をやや受けすぎか。昔、タイプライターで文章を書いていた人の気分はこういう感じだったのかと思う。

それとUlyssesの良いところは行の文字数や字幅を変更できること。文字数をブログと同じに設定してみた。これで完成原稿と同じ見え方で書くことができる。文章をブロックや分量というビジュアル的に認識するためには、これは重要なポイントな気がする。

エディタでひと通りざーっと書いた後は、ワードプレスのエディタにそのままコピペして、投稿をスケジュールして完了。12時に自動投稿されるように設定した。つまり前日の日記の締切は、本日の昼の12時というわけである。これにより、何がなんでも12時までに書かなければという状況が生まれた。この方法でいくならやはり朝書くよりも、その日の日記はその日のうちに書いてしまった方が安心する。だがその場合、夜、酒を飲んでいて書けるかというまた別の問題が発生する。ヘミングウェイじゃないんだから。

ある研究者で大学教員の方が「ブログを書くことは素振りみたいなものだ。本番(研究論文)のために必要なのだよ」というようなことを言っていたのを覚えている。まだブログが全盛だった頃の話しだ。この写真日記が素振りだとしたら、研究論文を書かない僕はいつか打席に立つことができるのだろうか。一年間書いてみれば、とりあえず365枚の写真は生まれる。でもだからなんだというのだ。それが何になるか今はわからないけれど、とりあえず引き続き撮って書いていくしかない。

新年会中に、以前住んでいたシェアハウスの仲間から誘いが来た。遠い親戚よりも近い兄弟のようなメンバー。みんな元気そうなのが嬉しい。

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